日常に潜む情報通信技術の罠-同じで意味が違う バグの巻-

今月も先月に引き続き、同じで意味が違うシリーズで「バグ」を取り上げます。
バグというと多くの方は虫と思う方が多いと思います。
バグって言ったらゲームのバグだといわれるゲーマーもいらっしゃると思います。
筆者からすると、バグはコンピュータのハードウェアやソフトウェア(プログラム)のバグで、ゲームのバグも含むものです。
一方で教育や認知科学でもバグがあります。
バグをなくす処理をデバッグとかバグをつぶすといいます。

教育のバグ

教育のバグには、概念的な理解における誤りを「概念バグ」、手続きに関する誤りを「手続きバグ」と呼びます。
「概念バグ」の例としては天動説もその一つです。東から西に移動する太陽を見て、太陽が地球の周囲を回っていると考えたのですが、これは日常の経験から科学的根拠が不明のまま、誤解してしまうことです。
「手続きバグ」は、引算の計算で繰り下がりの時に上の桁から1を引くことを忘れるといったもので、正しい手続きのある部分が別の手続きに置換されたりすることにより起こる誤りです。筆者が初めてソフトウェアのバグという言葉を知った時は、この手続きバグがその語源と教わりました(が、必ずしもそうでないようです)。

認知(脳)のバグ

東京大学薬学部池谷裕二教授の言葉を借りれば「脳が効率よく働こうとした結果、副次的に生じてしまったバグ」が脳のバグ= 認知バイアスです。

  • 透明性バイアス:自分の感情や考えていることが、実際以上に他者に伝わっていると思う錯覚
  • 確証バイアス:先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報を集める傾向
  • 正常化バイアス:人が予期しない事態に遭遇したときに、現実を否定して、想像を超えるストレスから心身を守るための防衛作用(地震や津波のときなど、この正常化バイアスのために、逃げ遅れる危険性がある)
などいろいろな認知バイアスがあります。

コンピュータのバグ

世界初のコンピュータのバグは、1947年9月9日にハーバード大学のコンピュータ「マークII」に蛾が挟まったもので、この蛾を取り除いたら動作するようになったということで、文字通り、デバッグ(バグとり)だったわけです。
プログラムが仕様通り動かないのがバグで、不具合の原因となっているバグを探し出し、修正するデバッグがプログラム開発管理では非常に重要です。

想定するデバッグの期間が違っていた例

図1 ジェスチャー認識デバイス「モーションプロセッサ」(1999)/copyright by Toshiba

このデバッグもなかなか一筋縄ではいきません。1999年に筆者がリーダーを務めたジェスチャー認識デバイス「モーションプロセッサ」(図1)を開発していたときのことです。このデバイスはゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじのようですが、近赤外光を点滅させてその反射(疑似的距離)画像からジェスチャー認識するものです。
今ではカメラに当たり前に使われているCMOSイメージセンサを使いました。CMOSイメージセンサ部分のリーダーは筆者の大学同級生でした。CMOSイメージセンサのアナログ回路と、点滅させるためのデジタル回路を一体(デジアナ混載)で作ることを目指していました。初ロットで出てきたものはバグだらけで、修正した設計図で次のロットを流すことになりました。しかし「次のロットが半年後」といわれ絶句しました。ソフトウェアでは、バグの原因がわかれば、長くても1-2週間で片付くのが常識でした。同級生からは「デジアナ混載は初めてだから、そう簡単に動かないよ」と追い打ちをかけられました。同じ言葉を使っていても、大学で同じ教育を受けたのに、ソフトウェアと半導体というように別部門で研究した経験などで意味する内容は随分変わるものであることを実感しました。

標準化仕様にもバグがあった例

NTTマルチメディア実験に東芝プロジェクトのリーダーとして、1996年CGで作った絶海の孤島にゴッホの絵画(JPEG)を展示し、それを鑑賞するという電子仮想美術館を開発しました。今は地デジの映像はMPEG4、音声はドルビーという暗号化方式を使って伝送しています。電子仮想美術館では出来立てのMPEG4を使って映像と音声を伝送するという、世界初の試みでした。MPEG4の暗号化・復号化のシステムやATM(非同期転送モード)通信システムもいずれも世界初で、未経験の世界でした。
CGワークステーション(当時1億円)は川崎市の研究所にあり、ゴッホの絵画は多摩の美術館のデータベースにあり、それをつないで新宿のショールームにて観客に楽しんで頂くというものです。
研究所と多摩の美術館と新宿のショールームの休日が異なるなど、最初から我々研究者が立ち会わずに1年間運用するというとても厳しい条件でした。
開始して1か月たったころにショールームから「画像と音声がずれるようになった」と連絡がありました。とりあえずショールームと研究所のコンピュータを立ち上げなおし、ずれはなくなりました。
「バグではないか」とMPEG4担当の研究者に掛け合いますが、「標準化仕様通りの実装で問題ない」との回答です。しかしまた1か月たった時に「ずれるようになった」と連絡がありました。再現性がある事象なので、MPEG4担当研究者に再度、「バグであり、仕様も含めて見直してほしい」と要請しました。MPEG4担当研究者が必死になって仕様を検討した結果、仕様自体の間違いであることがわかりました。MPEG4 はDVDなど映画の圧縮が主であったので、デバッグでも映像と音声の同期検証は2-4時間程度の映像と音声でしかやっていませんでした。
1か月以上映像と音声の暗号化・復号化を連続することなどまるで念頭になかったわけです。MPEG4担当研究者は、プログラムに自信を持っていたので、筆者がバグといったときには怒り狂いました。しかし、彼の実装は間違えておらず、さらに国際標準化の仕様バグを修正する提案を行い、標準化に大いに貢献することができ、最後には喜んでいました。

映画用に作られたMPEG4を伝送に用いるのは想定外の使い方であり、このために発生したバグであるわけです。技術者は正しいと主張しますが、ユーザにとっては1秒も映像と音声がずれたら大変なことです。当初想定と異なる使用をされている技術では、往々にしてこのような事態が発生します。技術者にとっては「概念バグ」にあたるものですが、技術者視点でなくユーザ視点で考えることで「概念バグ」のありかに気づき、情報通信技術の罠から抜け出すことができると思います。

(2022年6月)

* 裸のマヤなどのプラド美術館の絵画も展示できるように開発しましたが、著作権の関係で島の半分は閉館のまま終わりました(この話はまた別の機会に)。
**  JPEG: Joint Photographic Experts Group,静止画像のデータ圧縮形式の一つ、スマホカメラの写真もこの形式
***  MPEG4:Moving Picture Expert Group、動画・音声全般をデジタルデータとして扱うための規格、国際標準規格団体のISO(International Organization for Standardization)とIEC(International Electronical Commission)の共同規格、0.6秒分蓄積後に暗号化するため伝送には0.6秒分遅れます(これに関わる話も別の機会に)。
**** ATM : Asynchronous Transfer Mode, 当時は最先端伝送技術と目されたが、複雑化しすぎて現在はこの設計方針を受け継いだ別方式が使われています。

次回に続く・・・


筆者紹介
土井 美和子氏

国立研究開発法人情報通信研究機構 監事(非常勤)
東北大学 理事(非常勤)
奈良先端科学技術大学院大学 理事(非常勤)
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役(社外)
株式会社SUBARU 取締役(社外)
日本特殊陶業株式会社 取締役(社外)

1979年東京大学工学系修士修了。博士(学術)。同年東京芝浦電気株式会社(現㈱東芝)総合研究所(現研究開発センター)入社。博士(工学)(東京大学)。以来、東芝にて35年以上にわたり、「ヒューマンインタフェース」を専門分野とし、日本語ワープロ、機械翻訳、電子出版、CG、VR、ジェスチャインタフェース、道案内サービス、ウェアラブルコンピュータ、ネットワークロボットの研究開発に従事。