ICTおばあちゃんの四方山話-第12話

DE&I時代のマネジメント

物議をかもしたパリオリンピックの開会式は海外出張からの帰国と重なり視聴できませんでしたが、DE&I(ダイバシティ、エクイティ、インクルージョン)精神で、選手は男子と女子半々ずつだったそうです。パリ市長からロサンゼルス市長へのオリンピック旗のハンドオーバーも、女性市長二人がバッハ会長を挟んでおり、ここでもDE&Iだなぁと感じました。
今年の3月ごろ、男性と女性の管理者と懇談した時に、いろいろ悩みを伺いました。職場によっては「男性社員も育児休暇をとるようになり、DE&I実践では人手不足が悩ましい」とのことでした。また、ある女性管理者からは「年下の管理者からずばずば言われてストレスになっているのではないかと心配」との話もありました。なので、今月はDE&I時代のマネジメントに参考になるかどうかわかりませんが、筆者のマネジメント経験を少し紹介できればと存じます。

誰を笑顔にしたいですか?

東芝時代、年寄であったので新人歓迎会などで挨拶する機会が良くありました。毎年のように言っていたのが、「学生時代のライバルは同級生であったと思います。社会人になると、上下±10歳の世代がライバルになります。そんなにたくさんのライバルがいると不安になりますね。なので、ライバルとの競争を心配する代わりに、誰を笑顔にするために仕事をするのかを考えてください。」です。
 DE&IのD(ダイバシティ)は女性活躍と勘違いされている向きもありますが、結局は男性女性、障がい者健常者、人種など関係なく、いかにワクワク仕事ができるかだと思います。筆者の場合は、ワクワクできるように、誰を笑顔にするための仕事なのかをいつも考えていました。

-何が得意ですか?

部下も上司も、個性があり、千差万別です。入社時、「質問していいですか?」と行くと、ある上司は「なんぼくれるの?」とか本人は冗談のつもりだったのかもしれませんが、取っ付きにくく苦手でした。が、当時使っていたオフィスコンピュータのプログラミング言語を設計した人なので、聞かざるを得ませんでした。まぁ、今思うとコンピュータオタクによくあるコミュニケーション障害(コミュ障)であったのかもしれませんが、45年以上前はコンピュータ自身が一般的ではなく、プログラミング言語の権威ということでリスペクトして、接していました。
 上司だけでなく、部下についても、必ず何が得意なのかを見つけるようにしていました。得意なことを生かせるように仕事を割り振り、小さくても成功をおさめられるようにし、そこをこちらも笑顔になって誉めます。まぁ子育てと一緒ですね。
バーチャルラボということで、本社のデザイン部と人材交流をしたことがありますが、その時デザイン部からきていたAさんに「土井さんの笑顔を見たいから頑張りました」と言ってもらえた時にはうれしかったです。彼はのちに多摩美術大学に転職し、教授となりました。

-キャリアアップを考えて挑戦する

得意なことを見つけてそれを活用して成功体験を得ることは重要ですが、もっと成長してほしいと考えていました。自分のことを振り返ってみると、入社して特許を書く、プレゼンテーションをする、いずれも苦手でした。が、何千回もやっているうちに得意になっていました。
新入社員には笑顔のこと以外に「プロファイルに書いた自分の得意なことをぜひ発揮してください。そして苦手なことを一つでも苦手でなくすことが皆さんの成長につながるし、それは会社や社会との関係でもWin Winとなります」ともよく言っていました。


管理者として、年2‐3回、今でいう1on1ミーティングでフィードバックをしました。その時に、キャリア形成という点で「苦手なことを苦手でなくすため」のいろいろな話をしました。
研究者を目指したい人には、海外研究者とのネットワーク形成のための海外留学などを勧めました。また、また研究所に入社した者がすべて研究者に適している訳ではないので、東芝内でそれぞれに適した部署に異動できるように、どのようなスキルを磨くべきかなどを提案しました。

例えば英語が得意でないBさんには、当時インドで行われていたプロジェクトマネジャーの研修です。その後、PC事業部門に異動し、シアトルに出向し、マイクロソフトと一緒に仕事をしました。
またCさんには、プログラミングをかなりフォローしました。が、「なぜ自分だけこんなにフォローされるのか」と反発されました。そこで、正直に「いずれ事業部門に異動するときにプログラミングスキルが武器になればと考えている」と明かしました。のちにCさんは半導体部門へのFA(フリーエージェント)をして異動しました。
図形読み取りをしてきたDさん、Eさん、Fさんたちには世界初の携帯電話での道案内システムのルートマップテキスト化に貢献してもらいました。Dさん、Eさんは後にサービスを行っていた駅探事業部に異動しました。Fさんには学会の仕事でシンポジウムを開催する際にその緻密さを生かして雑な筆者を補ってもらいました。Eさんは計算機に詳しく、後に研究所に戻り、現在も皆から頼りにされています。
アーティストとしての才能あるGさんには、バーチャルラボの人事交流時に本社のデザイン部を経験してもらいました。
私も研究所の管理部門でWeb編集やリクルート活動などを助けてもらいました。のちにGさんは早期退職し、絵を習い、時々個展を開いています。
心理学出身のHさんには、プログラミンだけでなく、海外デモなどにも重いジェスチャ認識デバイス一式(含むPC)を抱えて行ってもらいました。後に好きな中国映画の勉強をするため早期退職をしましたが、白血病を発症し抗がん剤の副作用に苦しまれ、残念ながら亡くなられました。自分にもう少しできたことはないかと今でも悔やまれます。

プログラミングは得意だけど特許や論文は苦手なIさんには、一度だけ頑張って特許を書き、学会で発表してもらいました。IさんはMITに留学し、現在も半導体会社で働いています。 
 同じようにプログラミングが得意で独立独歩のJさんには、「仕事は任せるから、困った時にヘルプを言ってね」と伝えました。Jさんが相談に来たのは後に配偶者との同居を実現するために、大学に移るときでした。今は博士号もとり、教授として教壇に立っています。

無口なKさんもスタンフォード大に留学し、それを生かして現在ではインドの研究所の所長をしています。しゃべりたがりのインド人を相手に、しっかり話を聞き、Kさん独特のゆっくりした口調で会話をしているのかと想像すると楽しくなります。インドではワインだけでなくモルトも醸造されていると3月に帰国した折に、お土産に持ってきてくれました。
 AさんからKさんまで11人の中には女性が5人います。一緒に働いた人をすべて挙げきれませんが、中には役員になっている人もおり、頼もしい限りです。「部下を部長クラスにできたらマネージャ-としては成功」だといわれました。

会社内だけでなく学会の周年事業や法人化など面倒で未経験の仕事などで、ご一緒した他企業の方もたくさんおられます。そのような社外の方たちとの交流についてはまた紹介します。
自分の力が足りなかったと悔やまれることもたくさんありますが 、苦手なことを苦手でなくする戦略で新しいことに一緒に取り組めたことは本当に感謝しきれません。

(2024年8月)


筆者紹介
土井 美和子氏

国立研究開発法人情報通信研究機構 監事(非常勤)
東北大学 理事(非常勤)
奈良先端科学技術大学院大学 理事(非常勤)
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役(社外)
株式会社SUBARU 取締役(社外)
日本特殊陶業株式会社 取締役(社外)

1979年東京大学工学系修士修了。同年東京芝浦電気株式会社(現㈱東芝)総合研究所(現研究開発センター)入社。博士(工学)(東京大学)。以来、東芝にて35年以上にわたり、「ヒューマンインタフェース」を専門分野とし、日本語ワープロ、機械翻訳、電子出版、CG、VR、ジェスチャインタフェース、道案内サービス、ウェアラブルコンピュータ、ネットワークロボットの研究開発に従事。