バックキャスティングする
2024年も残すところ2週間足らずです。今年は古希を迎え、定年から満10年が経ちました。ありがたいことに立石賞*1をいただくなど名誉なことがありました。一方、10月に妹と暮らしていた母が、夫の転倒の話を聞いた夜、「気を付けないとね」といいつつ洗面所で転び、肋骨を5か所も追ってしまいました。痛みが治まるまで、なかなか起き上がりが難しい状況にあり、検討の結果、11月末に施設に入居しました。隔週で顔を出しているのですが、「食事がおいしくない」と文句が出ます。妹の家に移った時も半年ほど、いろいろ言っていたので、なれるまでにはまだまだかかりそうです。
今月は私のバックキャスティングについて、書きたいと存じます。
-バックキャスティングとは
バックキャスティングなんて聞きなれない言葉ですよね。
バックの反対はフォア(fore)で、forecastingで予測するという意味で、現在をもとに未来を予測することです。半導体回路の集積密度は1.5‐2年で倍になるというムーアの法則はフォアキャスティングです。それに対して、バックキャスティングはまず未来を描き、その未来から現在をさかのぼるのです。図1に示すように、フォアキャスティングとバックキャスティングでは方向、出発点、目標点が逆なのです。
-HIの未来はユーザの微笑み
筆者は、東芝で35年以上ヒューマンインタフェース(HI)の研究開発者として働いていました。その成果に対して立石賞をいただきました。授賞式の講演をまとめていて、筆者のゴールは「ユーザの微笑み」であることに気づきました。現在のようにDE&I(ダイバシティ、エクイティ&インクルージョン)で、女性の管理職を増やす、男性も育休をとるなどの施策がない女性にとって冬の時代を生き残ってこられたのは、「ユーザの微笑み」というゴールから、バックキャスティングで、世の中を先取りした研究開発を続けてきたおかげだと気づきました。
今では、使いやすくないアプリはダメ「HI第一だ」と言われますが、最初に始めた時には、理解者は多くありませんでした。ですが、それにめげずにいられたのは「ユーザの微笑み」というゴールの正しさが、いつか証明されると信じていたからです。単純な筆者がおめでたいのかもしれませんが。
-最初はオフィスワーカーの微笑み
1979年に東芝に入社して世界初の日本語ワードプロセッサ(机大)に出会い、これからはプログラミングなしにコンピュータ使う時代が来ると直感しました。プログラミングが嫌いな筆者は、プログラミングなしになるんだと思ったときに喜んで微笑んでいました。それが「ユーザの微笑み」の原点でした。
それから35年間、図2に示すように数々の製品群に携わってきました。入社してから1985年ぐらいまでは、ポータルブ日本語ワープロ、図形ワークステーション(WS)や機械翻訳など、自然言語処理(かっこよく言うと大世代AI)に基づいた製品です。微笑ませたいユーザはオフィスワーカーです。
ただオフィスワーカーは簡単には微笑んでくれませんでした。最初の日本語ワープロは高価で、オフィスに1台で専門のオペレータのみが使っていました。専門オペレータは、他人のあまり上手でない原稿をひたすら目を休ませることなく打ち込むのですが、座り心地の良くない折り畳み椅子など使って姿勢も悪い状態です。目は疲れるし、腰は痛くなるし、腱鞘炎になるしと非常に過酷な環境です。ポータルブル日本語ワードプロセッサの開発にあたって、インタビューに行くと、専門オペレータからはこれらの文句続出です。「ディスプレイの使用は1時間ごとに休憩する」など、専門オペレータの作業ルールを策定して、日本語ワープロを納める先に配布してもらったりしました。
-次は2種類の現場ワーカーの微笑み
オフィスでワープロやワークステーションが使われるようになり、1990年頃から現場ワーカーの微笑みを求め始めました。当時、舞台照明のコントロールをするプロセスコンピュータ(プロコン)の事業部から、舞台照明コントロールのシミュレータの研究依頼をいただきました。照明色や角度などによる舞台の照明状態を可視化するにはCG(コンピュータグラフィックス)技術が必要です。当時東芝はサンマイクロシステムズのWS(ワークステーション)を代理販売していました。当初はサンマイクロシステムズからCG WSが発売されたので、その予算要求をしていました。しかし、別事業所に納入されたCG WSを見せてもらったところ、カタログ値の性能はありませんでした。そこで、「シリコングラフィックス社のCG WSに変えたい」と、予算管理をしている企画リーダー(KL)に陳情しに行きました。KLからは「通常のWSの35倍の値段だから、35人分の成果を出すよね」と言われ、根拠なく「はい出します」と返答して変更を認めてもらいました。
結果として、舞台照明シミューレータは完成し、続けて、発電所の制御室の仮想制御室(1992)や、病院の仮想放射線検査室(1992)などを実現しました。
現場ワーカーは、購買資金を出すので効果を重視するスポンサーユーザと、現場で実際に作業するので使い勝手を重視するエンドユーザの、2種類にユーザがいます。
仮想制御室は、大型制御パネルによるリニューアルの効果を見せるために開発しました。発電所のシミュレータと連結させて、タービントリップなどの事故時に、仮想操作員の視野に警報の点滅が見えることをスポンサーユーザである電力会社とのデザインレビューで確認してもらって、無事リニューアルの意義を実感してもらえました。また録画を、エンドユーザである現場操作員にも見ていただき、自分たちの作業環境が向上することを確認してもらえました。可視化は効果大で、当時名古屋で開始されたVR展示会や、東芝での顧客向け展示会など多くのイベントに駆り出されました。さらに、東芝研究開発センターへの訪問者、VIPはもとより、就職活動中の学生対応にも多数対応しました。
-最後は家庭や街の微笑み
ここまではオフィスか現場と仕事でコンピュータを使うユーザが対象でした。1996年頃から、家庭や街のユーザに仕事以外でコンピュータを使って微笑んでもらえないかと考え始めました。そのためには、キーボードからの入力でないものが必要と考えました。当時は音声認識の精度が、騒音がある中で使えるほどでなかったので、ジェスチャ入力のデバイスMotionProcessor(1999年)を開発しました。半導体の営業にお願いして、日本各地の東芝顧客に売り込みに行き、最後はシリコンバレーまで行きました。しかし、2001年ITバブルがはじけ、シリコンバレーの売りこみ先のゲーム会社社長が一家心中をしたり、別会社のCEOは更迭されてしまいました。結果、東芝の社内ファンドがなくなり、なんとかなじみのソフト開発会社から製品化してもらいましたが、うまくいきませんでした。微笑みを得るのはなかなか難しいものです。
しかし、世の中捨てたものではありません。1999年当時、ウェアラブルコンピュータが出てきて、後追い研究開発をやれと上司から指示がありました。新しく加わった図形認識チームの力を借りて、PCでサービスしていたルートマップのみの道案内(ekitan.com)をテキストに変換することで、2000年3月、開発から半年でiモードの公式サイトでのサービスを開始しました。これが世界最初の携帯電話での道案内アプリです。この部署は売り上げが大きくないと社内では評価されず、2003年分社化し、(株)駅探となり、今でも多くのユーザを微笑ませています。
ジェスチャデバイスと道案内に並行してやっていたのが、ウェアラブルヘルスケアデバイスLifeMinder(2002年)です。LifeMinderは腕に着けるデバイスで、歩数や電車乗車中など行動計測を可能としました。結局歩数アプリは、メディカル事業部には「そんな細かい商売はできない」と言われ、携帯の事業部には「GPSは電池食いだからだめ」といわれ、事業化できませんでした。しかし、道案内と歩数アプリは、スマホの主要アプリであり、筆者もいつも世話になっています。これも今でも多くのユーザに重宝してもらっています。
企業の事業部は予算からのフォアキャスティング思考ですが、筆者は、「ユーザの微笑み」というゴールからのバックキャスティングです。今振り返ってみると、ユーザのライフスタイルは筆者のゴールに近づきつつあると思います。皆さんもバックキャスティング思考を試してみませんか?
*1立石賞: https://tateisiprize.org/past_winners/8th_04/
(2024年12月)
筆者紹介
土井 美和子氏
国立研究開発法人情報通信研究機構 監事(非常勤)
東北大学 理事(非常勤)
奈良先端科学技術大学院大学 理事(非常勤)
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役(社外)
株式会社SUBARU 取締役(社外)
日本特殊陶業株式会社 取締役(社外)
1979年東京大学工学系修士修了。同年東京芝浦電気株式会社(現㈱東芝)総合研究所(現研究開発センター)入社。博士(工学)(東京大学)。以来、東芝にて35年以上にわたり、「ヒューマンインタフェース」を専門分野とし、日本語ワープロ、機械翻訳、電子出版、CG、VR、ジェスチャインタフェース、道案内サービス、ウェアラブルコンピュータ、ネットワークロボットの研究開発に従事。