ブラジルでのリクルーティング その1
今回から2回にわたってブラジルでのリクルーティングについて紹介します。
5月の連休時に岸田首相はパリ、ブラジル、パラグアイを訪問しました。ブラジルでは首脳会談の他に、サンパウロ大学での「中南米と共に拓く『人間の尊厳』への道のり」と題して日本の首相としては、10年ぶりに、対中南米政策のスピーチを行いました。
-初めてブラジルに行ったのは?
岸田首相は首相専用機でパリからブラジル、パラグアイと、多分西回りでの世界1周だったと推測します。
筆者が初めてブラジルを訪問したのは、2008年12月です。当時は2010年まではJALの成田―サンパウロという直航便がありました。直航便と言っても給油のため、ニューヨークで一旦降りて、出入国の手続きをするという手間がありました。
目的は当時会員を務めていた日本学術会議の委員会からの依頼で、ブラジリアの国際会議場で開催される世界工学会議(WECC)に出席し発表するためです。ブラジリアなので、サンパウロまで23時間ぐらいで、それからさらに乗り換えてブラジリアまでなので、とにかくと買った遠かったことを覚えています。
国際会議場があるからと油断していて、ブラジリアの空港でホテルまでタクシーに乗ろうとしましたが、英語が通じませんでした。ドライバ-がボックスを指さすので行ってみると、その中に人がいて、ようやく英語が通じ、タクシーでホテルにたどり着きました。翌日は国際会議場まで、真っ赤な土の上を10分ほど歩いて国際会議場にたどり着きました。が、動員されたのか学生参加者がたくさんいて、受付は長蛇の列。受付を終えたら、あっという間に自分の発表のセッションとなりました。発表自体は、筆者にも他の発表者にも質問はなく、さらっと終わってしまいましたが、困ったのは、国際会議なのに、キーノート(基調講演)などがポルトガル語なのです。仕方なく、通訳機を借りに行くと、パスポートを代わりに出せと言われました。パスポートがきちんと帰ってくるかどうか、キーノートを聞いていても気が気ではありませんでした。
到着した日はホテルで食事をしましたが、黄色人種というせいか、注文をしようと声をかけてもウエイターにあからさまに無視され、気分が悪かったです。なので、翌日はホテルから外に出てみました。すぐ近くにモールがあり、その中の食堂で言葉は通じませんでしたが、店のおばさんが親切で、指差しで豆の煮ものなどを食べることができました。今思い出すとあれはフェイジョアーダ(黒豆とお肉を煮込んだブラジルの代表的料理)だったのでしょうか?
こんな調子で初めてのブラジル訪問は、言葉通じず、会議場では座長以外、知人もいずおらず、あまりよい印象がなく終わりました。
-なぜブラジルにしたのか?
2013年度に攻める国として、印象が良くないブラジルをなぜ選んだのかですが、もともとインドの次に攻めたいと思っていたのは、アフリカとブラジルでした。アフリカは全体として人口増加などで期待されていましたが、複数の大学ランキングで250位以内に入るような大学はありませんでした。またベトナムやインドでリクルートを進めてわかったのは、現地法人の支援は必須であることです。アフリカにある東芝と関係が深い会社はエジプトにあるTV販売会社だけで、直接の投資関係はありませんでした。
一方、ブラジルには、岸田首相が講演を行ったサンパウロ大学など250位以内に入る大学があります。また、40年以上続く東芝の変圧器工場があり、2013年5月にはその第2工場が稼働する予定でした。また、東芝メディカルの医療機器製造工場も2013年3月に稼働予定でした。現地法人を束ねる東芝南米社もありました。さらに、当時島内憲元ブラジル大使が社外取締役であったので、彼のヒューマンネットワークを活用させてもらえないかとの甘い考えもありました。
ブラジルの面積は日本の22.5倍と広大で、鉱山での大型ブルドーザの自動運転や、バイオエタノール燃料エンジンなど、サステイナビリティの先端技術の実証の場であったことも魅力でした。
-まずは大学訪問
東芝南米社社長が決算報告で日本に帰国した時にお会いし、ブラジルでのリクルーティングについて了解を得られました。担当の女性課長と、ポルトガル語の通訳者のお二人を紹介いただき、いよいよブラジル工場と大学訪問に2013年4月に行きました。日程は表1に示す通りです。変圧器の2工場の見学と大学訪問を詰め込もうとしましたが、すぐ隣の州でも飛行機に最低でも1時間乗る必要があり、なかなか大変でした。
大学訪問では、ブラジル企業だけでなく、サムスンなど海外企業との産学連携が盛んで、どこにも学生を巻き込んだ企業研究所が設置されていて驚きました。インドと同様に東芝も研究所を作るようにと言われるばかりです。
カンピーナス州立大学(UNICAMP)はサンパウロ州の研究機関として1962年に設立されました。倍率が50-220倍という狭き門です。
FATEC(Faculdade de Tecnologia do Estado de São Paulo)は3年間でTecnólogo(技術者)を育てるという一般学位修得とは異なり、スピーディに人材を供給する大学です。
サンパウロ大学は1934年に設立された大学でブラジルでは最も権威ある大学です。
マッケンジー大学(Universidade Presbiteriana Mackenzie)は1870年創立の私立大学でブラジルで最も歴史のある大学です。
いずれの大学も最初の説明などは英語で始められるのですが、サンパウロ大学以外は、質疑応答などになるとどうしてもポルトガル語が必要となり、通訳者に同席いただき、非常に助かりました。2008年の苦労が生きたわけです。
「東芝としては奨学金支給にしたい」との交渉はなかなか進みませんでした。サンパウロ大学は工学部長にお会いでき、奨学金支給OKと言われ喜んだのですが、それからがなかなか大変でした。
サンパウロ大学側の准教授と、東芝南米社の女性課長経由でメールをやり取りすることになりましたが、筆者が月曜日にメールを出すと、女性課長からメールが返ってくるのが金曜日となります。時差が12時間とか13時間で昼夜逆転とは言え、耐えがたいスピードです。まず奨学金を決め、学生を公募し、東芝南米社社長も入った選定会を開催し、2014年2月に奨学金贈呈をするというスケジュールは決まったのですが、契約書の内容が確定しません。
工場見学後通訳者と担当の女性課長と、サンパウロ空港で待ち合わせました。彼女は、2泊3日にもかかわらず、4泊7日の筆者の倍の大荷物で驚いてしまいました。(通訳者にもからかわれていました。)が、彼女は毎日異なるスーツとそれに合わせた靴で、本当に意気込んで、大学訪問をされていました。
筆者はジャケットも靴も変わらずですから、彼女が大荷物であった理由がわかりました。
それだけでなく、体形維持にとても気を使われていて、本当に少ししかご飯を食べません。一方の筆者はブラジル料理でも、日本料理でもパクパク食べていました。
写真1は大学訪問を終えて帰国する前日午後少し時間があったので、サンパウロの大市場に行き、お土産を買ったときのものです。日本の22.5倍の国土というのはこういうところに表れるのかと驚くばかりでした。
この時は、奨学金の話も進みそうだと楽観していました。そのあと、島内元ブラジル大使をお連れした奨学金授与式(2014年2月)までが、本当に綱渡りであることを知らなったので、写真の筆者は微笑んでいられたのだなぁと思います。
その綱渡りの顛末は次回に紹介します。
(2024年5月)
筆者紹介
土井 美和子氏
国立研究開発法人情報通信研究機構 監事(非常勤)
東北大学 理事(非常勤)
奈良先端科学技術大学院大学 理事(非常勤)
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役(社外)
株式会社SUBARU 取締役(社外)
日本特殊陶業株式会社 取締役(社外)
1979年東京大学工学系修士修了。同年東京芝浦電気株式会社(現㈱東芝)総合研究所(現研究開発センター)入社。博士(工学)(東京大学)。以来、東芝にて35年以上にわたり、「ヒューマンインタフェース」を専門分野とし、日本語ワープロ、機械翻訳、電子出版、CG、VR、ジェスチャインタフェース、道案内サービス、ウェアラブルコンピュータ、ネットワークロボットの研究開発に従事。